電脳経済学v3> g自分学> 2-1 生活設計の条件

電脳経済学v3> g自分学> 2-1-1 ライフサイクルのレイアウト

織田信長は桶挟間の合戦で、今川義元の大軍を破って、天下統一の礎を築きました。その出陣に際して「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」と歌い踊ったと伝えられます。下天とは他化自在天のことで、第六天ともよばれ、天上の世界の中でも最高に幸福な世界をさします。信長時に二十六歳でした。信長は本能寺の変で、明智光秀の反逆によって不慮の死をとげ、全国統一の雄途空しく、波瀾の生涯を閉じるのですけど、くしくも齢五十歳を前にしてこの世を去っています。
人生五十年とされたのは、そう遠い昔でもありません。日本人の寿命が延びたのは戦後のことで、それまでは、戦争と疫病が命を短くし、多くの人々は貧困と無知のもとに、やっと糊口を凌ぐという状態でした。生活程度や教育水準が急速に向上し、国民各層があまねく近代文明の恩恵に浴することができるようになったのは、やっと最近になってからのことです。つまり、四十年前には餓死者を出さないことが最高国策とされました。それが今日では、先進国の一員として、多くの分野で世界最先端の水準を競うまでになりました。この現実はかってを知る世代の人たちにとっては、まさに今昔の感深いものがあります。
その結果として、日本は短期間のうちに世界の最長寿国となりました。今日、人生八十年時代を迎えている事実は、個人生活はいうに及ばず、社会的にも各方面に大変なインパクトを与えるものといえます。このようなことは、永い日本の歴史の上でも、また世界のどこにもその例を見出すことはできません。この変革の時代を生きることは、個人レベルでは良いことばかりではありません。それは人間の意識がなかなか時代についていけないからです。
「老いては子にしたがえ」というように、これまでも親から学んだことが陳腐化することはありました。しかし、寿命が五十歳から八十歳に延びるとは、人生の後半生三十年に相当しますから、子にしたがっていれば良いという生やさしいことではすまない問題といえます。
社会保障制度を整備して、国が面倒をみるべきだという人もいます。しかしその頃には、制度に支えられる人ばかりが増えて、支える側の人口が著しく減ることになります。日本の経済規模は確かに大きいのですけど、それは“流れ”についてのことで“貯え”という面では様相が異なってくるのです。四十年五十年先の経済環境を、保障できる人は誰もいません。確かにいえることは、老後の生活設計は早い時期に自身でたてるにこしたことはないということです。

人生八十年時代の生活設計の基本は、行ったら帰ってくることにあります。登りつめる人生から、登り降りが山登りとする態度です。人生を完結することについて、ゲーテは「一生の終りを初めに結びつけることのできる人は最も幸福である」といっています。ライフサイクルには、人生がめぐって元に戻るという意味がこめられています。
ライフサイクルとは生物学の用語で、生活環あるいは生活過程と訳されています。例えばチョウの例をあげれば、その生涯は卵−青虫−さなぎ−成虫と変態の過程をふみます。このように成育段階に応じて、形態を変えながら一生を終ることが生物に共通していることから、人間の場合にもそのようなイメージで用いられています。ライフサイクルの例として、幼年期−青年期−壮年期−老年期を各二十年単位で刻むことができます。さらに、四サイクル機関で吸気−圧縮−膨脹−排気の行程に相当するとみることもできます。あらゆるものが生成、発展、衰退、滅亡の過程をとるのが世の姿といえます。
実際のライフサイクルに、何をどう配置するかは人生設計の骨子であり、またそれから、何をどう読みとるかも個人の自由ですけど、一般的に次のことはいえそうです。心・技・体をあわせた総合能力は四十歳がピークと思われます。人生上の主要な出来事は、すべて二十歳から三十歳の間に集中しています。続く三十歳から五十歳の間は、世にいう働き盛りで、同時に子育ての期間でもあり、人生の中心部分をなします。五十歳から六十歳の期間は、自身は社会的に責任ある立場にあり、家庭的にも子供が二十歳から三十歳の期間に相当して、独立していきますから、いわば人生の決算がなされる時期といえます。
六十歳以降のあり方は、先にもふれたように、近年における長寿傾向とあいまって、本人のみならず家族や社会にとっても、重大た問題といえます。確かなことは、六十歳になってからでは何ともならないということです。自分なりの生活設計を、早い時期にたてておく必要があります。あらゆる人生上のことは、気づいた時は遅いといえるのです。人は自分だけは年をとらないとか、死なないという単純な考え違いを犯しているものです。
ライフサイクルに関して、さらに重要なことは近親者との関係です。それは親と自分、自分と配偶者、自分と子供の関係、家庭の事情によってはそれ以外の人もいるかも知れませんけど、その相互の関係です。その人の人生は、この家族との相互関係の中で位置づけられます。家族全員が併行移動的に年をとりながらも、家族全員を加え合わせた“家族全体の勢”といったものは、いつも同じであることは興味がもてます。おじいちゃんが社会の舞台から退場していけば、一方では孫が登場してくるといった按配です。社会はつねに全体としてバランスがとれるようになっているようです。二代、三代にわたるライフサイクルを重ね合わせることによって、標準的には三十年単位で世代が受けつがれていることが明らかになります。つまり、三世代が重なる期間が二十年間あることになります。この間に祖父母と孫の間でもっと濃密な交流があっても良いと思われます。

誰の場合でも、人生は完璧な前提条件から出発するものではありません。むしろ各自の境遇に満たされないものがあればこそ、私たちはこうして生きていく意義があるのです。自身の境遇は、素直な気持で受けいれなければなりません。何かわだかまりがあれば、次のことを参考にして、心の整理をする必要があります。

○感謝−すでに与えられているものに感謝する。つまり、何がなくて自分が元気に生きていること自体を有難いとすることです。
○諦念−かなわないことを願わない。悲劇の多くは不可能なことについての見極めがないことから始まります。自分の能力の限界や、環境の制約を良く知る必要があります。
○希望−自分が苦しまず、人を苦しめず、しかも自分を永遠にできるような希望を探すことです。希望を探し求めることは、生涯を通して人生の重要な部分を占めるものです。

誰の場合にも、自身の人生の上には有形無形に親のつけがまわってきています。現在の家庭環境は、親の生き方の結果であり、それは子供の側にすればいかんともしがたい前提条件となっています。「親の因果が子に報い」とはあまりいい意味には用いられませんけど、親の人生態度が子供に与える影響は、親の側の想像を絶するほど大きいことは確かです。

親との関係やその境遇がどうであれ、人生とは与えられた条件を一旦受けいれた上で、そのもとに自分の方法で、自分の道を歩むことにあります。そのことによって境涯は変っていきます。初期条件は変らないとしても、環境条件は時々刻々変って行くのがこの世の姿といえます。このようなことについての理解が深まるにつれて、かつての境遇が壊しく思い出されてくるようになります。いつまでも過去のことに気を奪われていると、環境の変化に気づきにくくなって、せっかくの機会を逃してしまいます。そして結果的に不幸な道を歩むことになりかねません。
自分に対して責任をもつ節目として、二十歳で成人になることの意義は大きいものがあります。親のもののいい方や育て方は、あまりよくなかったかも知れませんが、親の気持そのものはわかってこなくてはなりません。それは親孝行をせよとかいうことでなく、自身が人の親となるに先立って、その心構えを説いているものです。親をいくら責めても自身にとっては何ら得るものはありません。親などいずれこの世から消えて行くだけのことです。
それより、自分が親になったらどうあるべきか、この未来に向けての姿勢が問われているのです。それを早い時期に、自分と親との関係の中から見出しておくことです。“親の志が奈辺にあるか”親子の関係はこれに尽きます。これさえわかって貰えば、親は安んじてこの世を去っていけるし、その子も道を誤ることはありません。
人間はこの世を去るに際して、何ら思いが残ってはいけないのです。「天国に入るには幼な児に帰れ」とはこのことをいっているものと思われます。このことは世を去って行く親の側はもとより、それを見送る子供の側もともに心すべき点であると思われます。