電脳経済学v3> f用語集> ka5 過剰性 (excessiveness) [⇔ki1 希少性(scarcity)] 2000年09月22日作成

<1> 正財が需要を超えて供給されること。(ケインズの世界)
<2> 負財が多過ぎて処分が困難な状態。(環境問題の発生)
<3> 正財の希少性(稀少性とも書く。)に対応。

[説明]
(1)過剰性は経済用語として定着していないが、これからの経済学では考慮されるべき概念として取り上げた。これを上記<1>に示すように商品、労働、通貨などに代表される正財の過剰供給という意味で用いれば、それはまさしくケインズの世界であり、伝統的な経済学の対象範囲にある。しかし、ここでは上記<2>に述べるように負財の過剰性つまり環境問題の文脈から取り上げている。換言すれば上記<3>にあるように正財の「希少性」との対応関係のもとに理解する必要がある。この発想法は経済学を学んだ者の特典(privilege)である。
結論的に強調したい点は、伝統的な経済学における閉鎖系の2部門モデルでは負財の過剰性つまり環境問題の発生理由も対応方法も説明できない。エコノミストがこれを政治や行政の問題とすれば自らによる社会的使命の放棄を意味する。正財の「希少性」と並んで負財の「過剰性」についても経済過程の枠組みに組み込む作業は、疑いもなく時代の要請であり経済学に対する課題である。

(2)ここで正財の「希少性」について再検討を加えてみよう。近代経済社会の成立条件は次のようになる。人々の要求(欲望ともいう。)に比較して利用可能な諸資源は量的に制約されているので、これを公平に配分する社会的な根拠が要請される。この資源が量的に制約されている状態を希少性といい、経済学は諸資源を公平に配分する社会的な根拠として要請される。
経済学では人間の生活に何らかの効用を持つ資源を「財」と呼ぶ。対価なしに利用できる財は「自由財」と呼ばれ、希少性ゆえに正の価格で売買される財は「経済財」と呼ばれる。川の水は従来自由財であったが、ミネラルウオーターは現在経済財である。良質の飲料水が時代と場所によって量的に制約されてくるのは経験的な事実であり自由財は時代の進展とともに経済財に移行していく。

(3)さて、ここで工場廃水や家庭排水は経済学的にどう位置づけられるだろうか。従来は垂れ流しが社会的に認められ自由財として取り扱われた。正確にいえばその弊害が軽微で人々に意識されなかった。この負なる経済財を仮に負財と呼べば、負財は論理的に負の価格で売買されることになる。事実、粗大ゴミや大型の電気製品は引き取り料を払わねばならない。
電脳経済学における代謝モデルではこれを「廃物市場」として経済過程に組み込んでいる。廃物市場は生産系や消費系から不可避的に排出される不用物を交換の対象にする。不用物とは物質のみならずエネルギーや情報なども含み、「エントロピー」はこの不用性を一般化した概念である。時代状況に鑑み、「正財の希少性」に加えて「負財の過剰性」にも対応する必要がある。ちなみに、自動車の中古市場や骨董品売買に明らかなように正財と負財の価格は連続的かつ流動的である。主体の評価により定まる含意は金融商品市場もまた同様である。
つまり、経済系が完結するには「負財の過剰性」と「正財の希少性」を一体的に取り扱う必要がある。これは経済過程としての地球規模での物質循環の完結を意味する。さらに物理学でいう「物質保存の法則」の適用でもある。地球環境問題の発生は地球上からの自由財の消滅を意味し、同時に地球自体が共同管理されるべき事態を告げている。これには思想的な啓発よりも経済モデルによる方法が説得力がある。