電脳経済学v6> c経済系1> c10 経済学の確認
 (全面改訂:2004/07/12) (一部追加:2004/11/10 2012/02/25)

経済学の流れ

図c10 経済学の流れ(⇒さらなる詳細は


c10-1 経済学史による経済学
経済学は経済学者(Economists)の経済現象に対する見解の体系化を意味します。各経済学者はそれぞれの見解に対応して学派を形成していますので、学派毎の見解を把握すれば経済学の大筋を掴むことが出来ます。この方法は経済学史による経済学の捉え方です。経済学の流れを概観するために代表的な経済学者とその学派について図c10経済学の流れのような整理を試みました。これをさらに詳細に描出すれば図c12経済学の系譜のようになります。主要な経済学者についてはe42近代史上の主要人物、経済学欄にも年表を記載しています。このように伝統的な経済学は経済学者の思想と理論に彫啄が加えられ歴史的に成立しました。
次に図c10経済学の流れについて若干の説明を加えます。同図は[参考文献](1)から引用して一部修正したものです。経済学はアダム・スミスによって重商主義と重農主義の統合を通して確立されました。この図では学派を大きく「古典学派」「マルクス経済学派」「近代経済学派」に区分し、近代経済学派についてはさらに「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」に分けています。注目すべきは「限界革命」と「ケインズ革命」が時代を画しかつ学派形成に転機を与えた点です。この図の右端は現代経済学につながりそこでは「財政政策派」と「金融政策派」が対立関係にあります。前記の「古典学派」「マルクス経済学派」「近代経済学派」はそれぞれアダム・スミスマルクスケインズによって代表されますので各ページに理論の核心部分を紹介しています。
ちなみに電脳経済学の立場は歴史を離れて論理に準拠しています。つまり経済学者の見解ではなく熱力学並びに生態系の知見に基づきイデオロギーフリーを目指しています。その結論は、図c10における「近代経済学」を2部門閉鎖系の市場経済(現行経済モデル)と捉え、これを3部門開放系の代謝モデルへ拡張するよう提案するものです。これは同時に価値自由に道筋を開く環境基礎理論でもあります。なお2部門閉鎖系の現行経済モデルに関しては[参考文献](3)に詳述されていますので適宜参照願います。

c10-2 経済現象とは何を指すのか
前節で「経済学は経済学者の経済現象に対する見解の体系化」としましたが、肝心の経済現象自体については触れませんでした。経済についてはいくつかの規定方法がありますが、その代表的な事例を次に示します。なお現象とは意識にのぼる外界の出来事あるいは観察される事実の連鎖を指します。
(1)生産要素から生活へ:
ある社会をある時点で捉えると、そこにはある大きさの「労働」人口、ある広さの「土地」とそこに埋蔵されている天然資源および機械、建物などの形をとるある量の「資本」が存在している。人々はこれらを使って生産物を生産し、これを消費して生活を維持している。([参考文献](4)参照) なお上記の「
労働」「土地」「資本」からなる生産要素は国家の成立要件である「国民」「領土」「主権」とそれぞれ対応する。(ld土地:表ld-1主題欄4&5参照
(2)経済問題の発生:
しかし社会のなかで生産される生産物には各種の制約があるので人々の経済的欲望を完全に満たすことは出来ない。このために時代や社会を問わず生産者(企業部門)と消費者(家計部門)の間で対立関係が生じこれを経済問題という。経済問題を持続的に解消させるには経済的秩序が解明されかつそれが人々に受け容れられる必要がある。([参考文献](5)参照) なお環境問題や格差問題は原則的に政府部門の役割りである。なぜなら生産者と消費者のみでは物質循環が完結しないので新たに分解者を加えた三者関係のもとでの経済運営が求められる。分解者の役割りは明確化した上で政府部門が担うべきである。
(3)資源配分と所得分配による説明:
@さまざまの有用な商品を生産するために、A社会がどのように希少性のある資源を使い、B異なる集団の間にそれら商品を配分するか。この三つの相互に関連する問題を整合的に解決する方法論が求められる。ここに@とAを資源配分問題といい、Bを所得分配問題という。([参考文献](3)参照) なお市場経済の仕組み(現行経済モデル)の根本問題は上記AとBが「生産要素市場」として混然と取り扱われている点にある。

上記において(1)は「生産」から経済を説き起こしています。つまりミクロ経済学の視点から経済現象を捉えています。「空間」「時間」「生産要素」「生活」の用語法は「システム」の定義と対応しています。このコンセプトにはシミュレーション可能な条件設定がされていてGIS解析への直結可能性を暗示しています。数量化および集計問題で一定の妥協を許容すれば経済学は学問体系としてすでに完成しています。(2)は経済問題の発生を「希少性」に求めるライオネル・ロビンズの立場でその後も多くの経済学者によって支持されています。生産vs消費あるいは供給vs需要を巡る対立関係を資本家vs労働者の階級闘争として直裁的に捉えたのがカール・マルクスであります。しかしこれもまたパラダイム的には天動説のままです。(3)は「現行経済モデル」に基づくマクロ経済学からの規定であります。2部門か3部門かの違いを別にすれば「経済モデル」の捉え方自体は電脳経済学と一致しています。B「現行経済モデル」における赤色矢印の貨幣循環過程に対応していて主流派経済学の主張が明示されています。(1)(2)(3)の基本的な立場はそれぞれ「古典学派」「マルクス経済学派」「近代経済学派」に対応しています。

c10-3 電脳経済学との関連
電脳経済学の中核をなす代謝モデルは3部門開放系の経済基本モデルを指します。これは食物連鎖過程熱交換器の原理を適用して容易に導出できます。このように代謝モデルは生命経済系の考え方に準拠して論理的に導出した経済基礎理論であります。(これは経済メタ理論を意味し経済現象を巡る前提の吟味作業に相当します。)なお電脳経済学は代謝モデルの導出過程を説明するとともに現行経済学との絡みについても予備的な検討を加えています。
論理的に導出された結果を歴史的に集積された成果でもって検証する作業が必要か否かは当事者として容喙外です。言えることは歴史性と論理性の結合は時空関係に基づくとか、哲学との絡みは蝶夢独我論に示す通りとかです。つまり「経済問題は心の陰」であって倫理観や健康管理に収束すると今の私には思われます。

c10-4 現下の経済問題との絡み(2012/02/25追加分)
現下の経済問題をとりあえず国債を巡る国際金融問題に絞ります。ミクロについてはfc金融危機として既述の通りです。問題の構図はこれのマクロ版に相当します。金融ですから貸し手と借り手あるいは売り手と買い手の相対関係から出発します。しかしこの前提には制度とその運用がありこれは図e16経済を巡る論理枠組みのもとで定位されます。ここで一気に結論に移ればこれらを大枠で管理しているのはテクノクラート/ビューロクラート集団です。この地球上でこの集団を裁ける人間は存在しません。極論すれば人類の運命は彼らの良心に全面的に委ねられています。前節で倫理観に収束すると述べた理由はここにあります。
これはマクロからの文脈ですがミクロに着目してもやはり「知足安分」となります。これではデフレスパイラルに陥り経済問題の解決から遠のいてゆきます。翻って、この局面を前向きに受け止めればこれは現行の経済社会を再考し再編する機会でもあります。結論的にいえば、あらゆる問題は「自己意識の投影」であり「自己矛盾の表れ」と解釈できます。つまり、今日的な各種問題は理非を弁えない欲望社会の現象化といえます。具に観察すると私たちは「自分で自分を縛っている」わけで徒然草にも「須らくまづ其の心づかひを修行すべし」とあります。不本意ながら抹香臭い結末となりました。

[参考文献]
(1)『理系発想で経済通になる本』 和田 秀樹 日本実業出版社
(2)『経済学の考え方』 宇沢 弘文 岩波新書
(3)『サムエルソン経済学』上下13版 P・サムエルソン W・ノードハスス著 都留 重人訳 岩波書店
(4)『経済学第一歩』 小泉 進 岩波書店
(5)『新版経済学入門』 千種 義人 同文館
(6)『経済学のコスモロジー』 永安 幸正 新評論