電脳経済学v3> g自分学> 3-2 悩みがなければ成長しない

電脳経済学v3> g自分学> 3-2-1 苦しみは生存の証

生きとし生けるものは、生きるために生きています。自明のことです。ところが、人間だけは、この上に“よりよく”生きたい気持が働く点において、生物一般と大きく異なっています。あらゆる人間的な営みは、この“よりよく”ありたいと願う向上心と結びついています。人間は生きているだけではないのです。
一般的に、この向上心は男性の方が強く、これが活動的ないし攻撃的態度と関係してきます。一方、女性の方は安定志向で、そのままであり続けようとします。男性は何かをしたがるのに対して、女性は彼女自身でありたがるのです。男性は世界が自分であり、女性は自分が世界であるとされるゆえんです。
環境に対する態度が、創造的であろうと順応的であろうと、そこになんらかの軋轢(あつれき)がともなうことは必然的に避けられません。
このことから“生きることは苦しみである”とする仏教の根本命題が与えられます。生を死にむけての驀進とみる態度です。
万物はその内外に働いている摩擦ないし抵抗によって、相互にその位置や状態を保っています。そのことによって、存在や運動という現象界が成り立っているのです。無重力状態にみられるように、すべてのモノがフワフワと浮いたり、ツルツル滑ってもらうと困るのです。しかも、この抵抗は状態が変化する際に強く働くという性質があります。
苦しみとは、この軋轢、摩擦、抵抗が、人間的な感情をともなって表現されたものです。そこには、生をエネルギー、情報、意識の流れとみる“運動観”が働いています。この流れが乱された状態が苦しみにほかなりません。ここで、苦しみを感情面から受けとれば、苦しみからまぬがれることはできません。感情は苦しみの結果であって、その前に苦しみの原因があるはずです。
肉体的苦痛のみならず、精神的な苦悩もまた人間の苦しみの中心的な位置を占めるものです。人間とは苦悩人なのです。求めて得られないのが苦しみなら、失うことを恐れるのもまた苦しみです。この世は、迷い、悩み、恐れ、心配、不安に満ちていて、何もかも思うにまかせぬことばかりです。誰にとってもそうなのです。このように、四方八方を苦しみで取り囲まれていますから、この世は苦海ないし苦界とされます。
さらに、この苦しみは他の者に代ってもらうことができないのです。喜びはわかち合うことができても、苦しみは一人で背負わなくてはなりません。出産、受験、病気、不幸を代行してくれる人は誰もいません。人はそれぞれ、何らかの自分の問題をかかえています。程度の差こそあれ、誰もがのたうちまわりながら生きているのです。人間の生きる姿は、裏から透かして見れば、この自由ならざる境地につながれた、苦しみの姿にほかなりません。

仏教ではこれを「一切皆苦」といいます。その具体的な内容が「四苦八苦」となります。日常語としては、さんざん苦労する意味ですけど、本来は「生・老・病・死」(しょう ろう びょう し)の四苦と「愛別離苦」(あいべつりく)「怨憎会苦」(おんぞうえく)「求不得苦」(ぐふとくく)「五陰盛苦」(ごおんじょうく)を合わせて八苦とするものです。
簡単に説明を加えますと次のようになります。「生・老・病・死」は苦しみが生涯にわたることを時系列的順序で述べるものです。人生の起点である生まれる時、終点の死ぬる時、ともに苦しみとします。誰でも自分のことは忘れていますけど、赤ちゃんが笑いながら生まれてきた話は聞いたことがありませんから、きっと苦しいものと思われます。生む方も生まれる方もともに苦しいのです。
死の苦しみという言葉がある位ですから、死が苦しみであろうことは想像できます。どうせ死ぬのなら、安らかに死んでいきたい、と願うのは人間の自然な感情であります。仏教のすばらしいところは、この大往生に着目していることです。しかし、現在では人生のこの大切な場面が病院に移されています。
老は老人になってヨボヨボと老醜をさらすのが苦しみだと理解されています。それもあるとしても、老とは加齢そのもの、つまり生きていること自体をさします。仏教の基本姿勢が“生を死の方から見据える”ものであれば、このことはうなずけるものです。老という字から生が苦であろうというイメージは容易に伝わってきます。女性はこのことにさらに敏感といえます。
病は説明を要しません。新聞の死亡記事を見ても、人は病を得て死んでいくもので、老衰で亡くなる人は極めてまれのようです。
最初の四苦が生理的な苦しみとすれば、次の四苦は社会的な苦しみを表わしています。社会生活上の苦しみを具体的に示したものです。「愛別離苦」は愛する人と別れる苦しみです。「怨憎会苦」は逆に怨み憎む者に会う苦しみをさします。「求不得苦」は求め欲するものを得られない苦しみを意味します。「五陰盛苦」は物質、精神を問わず、そこから生じる心身の苦しみを表わします。五陰盛苦の言葉には、苦しみを総括する調子がこめられています。この世界はどの方向からどう見ようとも、軋めいていて調和していない、とするものです。苦しみここにきわまれり、であります。
「一切皆苦」はいわば現状認識といったところです。これから苦しみの抜本的解消に立向います。そのためには、人間はなぜ苦しむのか、その原因をきわめる必要があります。
それを次節以降であまり深刻に思いつめないように用心しながら述べたいと思います。