電脳経済学v6> f用語集> rcp 総括 (recapitulation)  (当初作成:2011/08/19)

1.梗 概:
<1> 個々のものを一つにまとめること。全体を取り纏めて締め括ること。対象範囲に整序を与えること。(−質問)
<2> 労働運動・政治運動などでそれまでの活動の経緯・内容・成果を検証・評価・反省すること。(春闘を−する)
<3> 進化過程としての歴史は現実。(時間順行)
<4> 「総括」成果としての歴史無記。(時間逆行)(遡源/遡及)

2.論点説明:
(1)上記<1><2>は一般的定義である。全体を纏めて取り締まり司ることも「総轄」と呼び<1>と紛らわしいこの場合はむしろ「統括」となる。本ページでの用語法は<2>を敷衍したものである。ただし、連合赤軍などの総括とは全く関係ないので誤解のないように。<3>は<4>との対比のために示した。したがって<4>が本ページで取り上げている「総括」の真意であり狙いとなる。その説明は以下の通りである。
(2)歴史には「事実としての歴史」と「解釈としての歴史」の両面性がある。これは歴史の両義性あるいは歴史の二重性といわれる。梵我一如両者の包括的な概念である。
(3)先ず「事実としての歴史」は過去の出来事を巡る客観的な記録としての歴史を指す。これは「『存在』としての歴史」に相当する。但し次の点は留意すべき
である。つまり記録といえども人間意識の産物であり厳しくいえば客観的な「事実」や「存在」は成立しない。厳密な意味での「事実としての歴史」については本サイトでは『事実唯真』と呼んでいる。
(4)次に「解釈としての歴史」は過去の出来事の主観的な叙述としての歴史である。これは「『認識』としての歴史」に対応する。歴史小説はその典型であり書き手は自身の歴史認識を読み手に伝えたいと願っている。したがって「解釈としての歴史」にはその人の歴史観なり世界観つまり「思想」が表現される。これは「史観」と呼ばれマルクス唯物史観本サイトでは史的唯物論と呼ぶ)がよく知られている。この立場は物語的歴史記述あるいは物語論とも呼ばれ深層心理としては自己同一性への帰趨願望の現われである。
(5) 上記1.<4>の総括過程あるいは時間逆行の真義は将にこの「解釈としての歴史の無記性」にある。但し、聖書、仏典、神話、民話などの物語的歴史記述は望ましい社会秩序維持を狙いとする説話故に無記とはならない。つまり無記はあくまで事実に基づく個人的な意識状態を指すもので他者に強要される性格のものではない。これは倫理に根ざすもので宗教との違いは銘記されるべきである。
(6)事実を歪曲して歴史を正しく認識していないと主張する立場がある。立場ある人間は思想から自由になれない。その一方、立場なしに人間は生きて行けない。この類の論理上のジレンマあるいは思想的バイアスをイデオロギー/思想矛盾と呼ぶ。事実唯真による思想矛盾の克服/解消は本ページの最終的な狙いである。自明の事実として人間を含む生物は子供から大人、大人から親へと発達し成長しなければ種族を保存できない。この発達とか成長とは偏見を取り除く
過程を指している
(7)最後に上記の「歴史」を自分史に読み替えてみる。自身の全過去が受け入れ可能かつ納得可能ならば無記となるはずである。

(8)因みに上記は太平洋戦争の総括や東日本大震災の総括として歴史過程一般にも適用可能と考える。私たちは歴史学ぶことにより偏見から解放され自由になり得る。

3.結語的補足
(1)訳語選択:@recapitulateは生物用語で〈個体が系統発生の諸段階を繰り返す〉〈胎児が先祖の発達段階などを反復する〉を意味する。同じ要約でも〈要点を反復して強調する〉場合に用いられる。音楽用語では〈提示部の旋律を再現する〉場合を指す。時間反復的意味合いがある。Aepitomizeは〈縮図的に示す〉〈典型である〉〈抜粋を作る〉を表す。空間圧縮的比喩に用いるBsummarizeやgeneralizeは要約の一般的な表現となる。これらを踏まえて時間と反復を含意する@を訳語として選んだ。
(2)因果律:一般的に複雑な歴史現象を解明する
に際して因果関係の同定は極めて困難である。 その一方で自明の事実として原因なしに結果は生じない。この意味で因果関係を巡る確認作業は再考の繰り返しとなる。このような手続きを経た後に解釈の妥当性が担保できる。現実問題においては関係者の合意をもって最終判断とする以外に方法がない。この文脈から科学は歴史的な方法論となり説得の道具に過ぎない。未来に向けた目的論は方法論と絡むとしてもむしろ個人の倫理観に依拠する。なお図etc1および図etc2中にある倫理は個々人の倫理意識を表している。
(3)歴史の総括としての私:ウィトゲンシュタイン哲学と数学は歴史の総括として今の私に集約される。(論旨は下記参照)
「歴史とは何か、それは私である」 (出所:4.(3) p108)
結論として、正しい歴史認識は無記つまり万物肯定
となる

4.参考文献
(1) 『歴史の哲学』 物語りを超えて 貫 成人 勁草書房
(2) 『自分史年表』  藤田 敬治 出窓社
(3) 『虚数の情緒』 中学生からの全方位独学法 吉田 武 東海大学出版会
(4) 『身体の宇宙性』−東洋と西洋−  湯浅 泰雄 岩波書店