電脳経済学v6> f用語集> apc 統覚 (apperception) (当初作成:2011/03/22)(一部追加:2011/03/29)  

1.梗 概:
<1> 一般的な定義: @対象がよく理解され明瞭に意識される知覚の最高段階。A個々の知覚内容を統合する精神機能。B多様な感覚所与を明白な自己意識として結合し統一する自覚作用。C自己言及(主体が自身について言及できる能力)ないしオートポイエシス(生命系の本質である自己決定や自己再生を巡る機序)が可能な意識状態。
<2> 哲学史の文脈: @ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz: 1646-1716)が知覚の反省的意識を洗練して初めて用いた。A後にカント(Immanuel Kant: 1724-1804)は対象を認識する前提としての意識の統一を指して用いた。これは「超越論的統覚」と呼ばれ自我または意識が感覚的多様性を自己のうちで結合させて統一することを意味する。Bまたヴント(Wilhelm Max Wundt: 1832-1920)は意識経験の原理を統覚に求め「統覚心理学」を展開した。彼によれば比較、分析、総合などの複雑な精神作用は連合と呼ばれる受動的な心的
態度では説明できないので意識内容を統合する能動的な心的機能に意味を与える統覚によるべきとした。因みにヴントは、ドイツの生理学者、哲学者、心理学者で 実験心理学の父と称される。
<3> 日常用語では: 反省
/自省により齎された気づき/得心が統合された意識を自覚する作用。仏教用語では内観(introspection)といい天台宗では観心(かんじん)として強調する。禅宗でいう放下(ほうげ)やヨーガも呼吸を整え精神統一をはかる意味でこれに相当する。心理用語では内省あるいは自己観察と呼ばれる。哲学用語としては思惟する私と思惟される私の一致状態あるいは自己同一性の確認作用。

2.要約と結論:
(1) 無心の対義語は有心(うしん)であり、同様に沈黙のそれは雄弁である。これは正夢と逆夢の場合にもいえる。両者古典論理的には両立不能だが両者の融合はあり得る。逆説的矛盾に満ちこの世界をあえて認める態度つまり直観論理に基づく大人の対応が統覚への第一歩となる。仮に建前通りに世の中が動くならば東日本大震災は発生しない道理である。総括を今後の社会構想にどう反映するか将に日本の未来がいま問われている。
(2) 前節との絡みから「立ち位置
」について考察する。立ち位置の対義語は「立場」でこれは分限や分際の類義語といえる。日本人は国民性特性として立場をよく弁えている但しこれは上記1.<2>Bの受動的な態度を意味する真の問い」は能動的な役割りあるいは積極的な貢献でありこの具現化が立ち位置の本義となる。本来限定的である特定の立場のもとで主体的な意志や判断に基づく行動を選択しその結果に責任を持つそのような立ち位置を自身で定位するにそれなりの知識や経験が求められる。直観論理あるいは統覚の真義はこの立ち位置により体現される。
) 生命財産を巡る最終判断は自己責任に帰結する。そして何より責任・権限・義務は相互に等価的対応関係つまり正三角形をなす。これが独我論の立場でありかつ統覚の要諦でもある。さらにいえば時空長は統覚の源泉をなし量子脳理論が両者を架橋する。これはまた上記1.<2>に示した哲学史文脈の展望でもある。総括なき過去に依存する限り過ちの繰り返しに終始するだけで未来も開けようがない。世代的かつ経験的に太平洋戦争と東日本大震災が脳裡で重なり合ってしまう。

3.参考資料
(1) 『哲学事典』 林 達夫ほか監修 平凡社 p842, p1001
(2) 『岩波哲学・思想事典』 廣松 渉ほか編 岩波書店 p1153