電脳経済学v8> f用語集> sda 諸法非我 (パーリ語:sabbe dhamma anatta)
(当初作成:2018/11/12) (追加:2018/11/16)

1.梗 概:
(1)諸法非我は三法印/四法印の一つとして仏教の根本をなす教理であり、多くの場合に諸法無我と表記されます。敢えて諸法非我に拘る理由並びに量子論との絡みについて所見を述べます。(詳細は下記4.(1)参照)
(2)先ず無我について述べます。無とは有の対義語です。黒‐白、善‐悪、男‐女なども同様でこれらは二項対立と呼ばれます。二項対立の矛盾を突いたのがでdrdデリダ脱構築です。
(3)次に非我について述べます。非とは我以外である意味で、我を否定している。これは「cct概念」と全く同じ関係です。イヌの概念はイヌをイヌ以外から区別します。つまり非我とは我に纏わる囚われ(所有欲)を指します。
(4)相互関係性つまり縁起から我を位置づけるなら「非」になるべきで、数学的な表現を借りれば非は原点と理解して良いと思います。
(5)量子論との関係は「抽象概念の可視化」に示されています。両者は無意識で繋がっていると考えます。潜在意識、深層心理、集合的無意識、阿頼耶識なども含意は同じです。

2.論点説明:
(1)仏教の核心は何か?一語では「」、四字熟語では「諸法実相」となる。一方、筆者の見方では「諸法非我」となる。何故か?仏教本来の目的は「自己の解放」にある。つまり上記1.(3)の通り「非我」を「我」とみなすから苦しみが生じる。(詳細は下記4.(2)-(3)参照)
(2)量子力学
(大筋で量子論と同じ)が現代の常識を覆すことは多くの識者が予見している。例えば「観測問題」によって因果律が否定される。更に歴史や経験も否定される。これは非常識も甚だしい。
(3)結論的にに筆者の見解は「あるがまま」(wu無為自然と同義)となる。有意自然、運命自然、無差別自然…あくまでnt自然を貫徹したいのは反自然か!

3.追 記:(2018/11/16)
(1)結局のところ、諸法非我はe24汎我一如と同義である。梵我一如と言えば、E・シュレ―ディンガー(1887-1961)はその生命論の文脈から取り上げている。この詳細はc50生命経済系の考え方において2.生命論とエントロピーの絡み:で述べている。
(2)東洋思想に関心を寄せた多くの物理学者の中で(下記4.(4)参照)、E・シュレ―ディンガー は更に生命論まで視野に収めた(下記4.(5)参照)。彼の広範な領域に及ぶ業績は将に空前絶後と言える。

4.参考資料:
(1) 3-2-4 解決できない問題はない (自分学
(2) 非我と無我に関する中村元氏の解説@ Yahoo! ブログ

(3) 第13章 無我について Yahoo! ブログ
(4) gooブログ:西洋哲学は2回のパラダイムシフトを経て、東洋に帰結する!? 「量子力学」 goo Weblog/2007-07-06
(5) 『生命とは何か』 ―物理的にみた生細胞― シュレーディンガー 岡 小天ほか訳 岩波文庫 青946-1 エピローグ