電脳経済学v6> f用語集> spt3 時空の論点説明 (brief on spacetime) (当初作成:2011/01/29)(一部追加:2011/02/09)

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1.時空長の考え方:
(1)釈明:常識離れした何とも「奇妙な考え方」を披瀝すのは内心忸怩たるものがあるがこの際ご容赦願いたい。
(2)結論:冒頭に結論を述べれば認識とは主体に込められた「時空長」を指す。時空長は物理用語であるが日常言語でいえば経験/記憶に対応する。したがって論点の狙いは経験/記憶の定式化にある。なお時空長は時として世界線/固有時/世界距離/世界間隔/世界長などとも呼ばれる。時空長の用語法はspt時空4.参考資料:(7)以外殆んど見受けられないにも拘らず敢えてこれを踏襲した。より適切な用語があれば改めるのに吝かではない。
(3)
図spt-1単位円:数学的な予備知識や図表の解読力を前提説明は相当な範囲で割愛する単位円とは図spt-1に示す半径1の円を指す。図spt-1単位円内に示すピタゴラスの定理から出発するが空間軸Xに虚数軸をとれば式(2)および式(6)が成り立つ。この複素平面上の単位円は式(7)に示すオイラーの公式の幾何学的表示である。オイラーの公式は「指数関数」「虚数」「三角関数」「ネイピア数」「円周率」を巡る数学的関係を唯一の「変数」偏角θで表す。一方、同式を物理的な波動の表現と見れば偏角θは「位相」を表す。さらに図spt-2に示すミンコフスキー時空では相対「速度」に対応している。オイラーの公式についてファインマンは”人類の至宝”と評したがその真意を垣間見る思いである。因みに単位円に類似した表現としてはペンロース図がある。ロジャー・ペンローズ量子脳理論の提唱者としても知られる。
(4)図spt-2ミンコフスキー時空:図spt-2に示すミンコフスキー時空は図spt-1単位円に表spt2時空長計算表から選んだ要目を重ねて図示している。端的にいえば図spt-2は複素単位円内に収めた宇宙を表す。表spt2から次の結果が読み取れる。(a) 虚数単位「i」はπ/2の回転演算子も呼ばれる。この関係をF欄に二重枠で示す。(b) π/4からπ/2の倍数毎にds=0の特異点が現れる。この関係をE欄及びF欄の一重枠で示す。この特異点は図spt-2において時間領域と空間領域の境界に相当する。(c) 虚数部分sinθは実数部分cosθにπ/2遅れで現れる。その実在性に鑑みこれを虚部と呼ぶのは違和感がある。換言すれば人間の脳は実在化を巡る両者統合装置といえる。(d) F欄±ds対称性表し図sp2時空長グラフにおいて網掛けで示す。(e) 前記対称性を根拠にF欄における0-π/2領域の説明は0-2π領域に拡張できる。(f) @欄ds=1とF欄の±dsの値は対応しない。これは後者が極形式で表した共役複素数の絶対値計算に基づくからである。下記(5)に述べる”縮退した時空”はこの関係を指す。
図spt2時空長グラフ:表spt2時空長計算表のグラフ表示である。虚数並びに共役複素数を含むので実数軸と虚数軸で色分けしたが立体図/展開図/投影図/イメージ図の方が理解しやすい。時間領域と空間領域の境界における時空長はds=0の特異点となりこれは光速度c=1の領域を表す。つまり時間も空間も縮減して消滅するが、これを「縮退した時空」と呼ぶ。ここに光子の質料ゼロつまり量子論の世界が開けてくる。時空長の考え方は時間に実数を空間に虚数を対応させ実在性の文脈から両者を統合的に捉える立場を指す。その理由は世界認識を巡る普遍性並びに説明容易性にある。時間に虚数を対応させることも可能でありマクタガートによる時間の非実在性哲学はこの代表といえる。しかし主客と時空の対応関係において時間軸に1次元実数軸をとる方が概念理解並びに現実説明の観点から妥当と考える。なぜなら時間は主体に固有としない限り量子力学でいう多世界解釈は成立しないからである。つまり空間は共有の対象であり情報による克服の対象となるが時間は他者と共有できない。この文脈は所有との絡みから経済を巡る根源領域に通底する。
量子脳理論図spt-2において直交する2本のπ/4線はθ光速度を表すとともにds=0の特異点に対応する。この特異点を通過しない限り両領域間の移行はできない。換言すれば虚数領域と実数領域を巡る相互変換は「記憶」(経験/記録/履歴/歴史/脳の働きなどの呼称は措いて)による外ない。表spt2時空長計算表F欄における±dsの挙動が前記の縮退現象を示唆している。平たくいえば脳は時間領域と空間領域の瞬時往来を可能にする圧縮された宇宙モデルである。つまり図spt-2空間領域《非因果領域》を因果領域化できるのはこの脳内宇宙モデルを措いてない。この文脈のもとで量子脳理論は定式化可能と考えられる。この根拠は「光速度不変の原理」にあるが光速度感覚はその非日常性故に実感を伴わない。
(7)仮説的な結論として
「認識主体」の内実は「内部化された時空」となる。前記の特異点つまり質料ゼロの領域は次項2.(1)に示す無記に相当する。この文脈において「時空の内部化」は梵我一如と同義となる。

2.現実理解へ向けて:
(1) 無記とは何か:
いま、ここに、私が生きている。時間・空間・主体を巡るこの関係をspt時空1.<3>において便宜的に「三者関係」と呼んだ。現実理解の出発点をこの三者の交点に求める。これは図spt-2における原点に対応しそれは同時に独我論-宇宙-蝶夢-無記に至る意識改革過程の出発点でもある。ただし言葉は恣意性を孕むので共通言語として数学の援用が望ましいと理解している。結論として時空の総括無記と呼べばそれは多様性の承認を意味する。しかし数学に準拠した世界総括の可能性については何ともいえない。これがゲーデルの結論と解釈しているけど、読者諸賢はいかに思われるだろうか
(2) 原初状態の確認:
いま、ここに、私が生きている。時間・空間・主体を巡るこの三者関係の交点に現実理解の出発点を求める。
の哲学的交点を数学的原点に対応させて認識論を定式化してその思想的結論は無記とする。このような思考実験が成立するか否か。できれば演繹的な導出つまり基礎方程式の形式でこの結論に到達できないか。これが本ページで掲げる問題設定/問題提起である。
さて、この交点はジョン・ロールズのいう 自然状態に当たるだろうか。結論を先にいえば似て非なる関係である。これは”原初状態”という用語を介在させれば明快に説明できる。広辞苑によれば原初状態は次のようになる。〔哲〕ロールズの用語。社会契約説における自然状態を、正義の基本原理を合意によって採択するための平等な討議の場として読み替えたもの。討議の参加者は自分の社会的地位・資産・能力などについて知らない(無知のベール)とされる。つまりロールズは社会状態の対義語として自然状態を設定して正義論の前提に置いている。それは社会関係のリセット状態を指すが、思考実験とはいえ生身の人間がリセット可能だろうか。それならむしろ初期条件を整理確認する方が現実的ではないか。一方、本サイトでいう原点は梵我一如の文意からビッグバンに対応する主体意識の原点を指す。端的にいえば両者の差異は対象が社会/正義か時空/認識かとなる。多くの西欧系思想家と同様にロールズもまた理想状態を創世記に求めているように思われる。

(3) カントはどう考えたか:
イマヌエル・カント(Immanuel Kant:1724-1804)はその哲学体系の起点を”人間が外的世界を認識する仕組み”の全貌解明に求めた。この文脈から主著『純粋理性批判』は「空間」と「時間」の形而上学的並びに先験的解明から踏み出している。その特徴は人間の感性が空間と時間という基本形式を持つという構図にある。しかし人間の感性には限界がありその認識は不完全となる。この超克を巡る超越論的哲学の展開とともにカントは冗長かつ難解になる。
あえて繰り返すと、カントによれば時間は内感の基本形式であり、空間は外感の基本形式となる。内感とは自分の内的状態の受けとりを、外感とは事物などの外的対象の受けとりを指す。着目すべきは時間/空間と内的/外的の対応関係である。現在から200年余り以前に欧州の僻地において彼が思弁を通してこの結論に到達し得た事実は驚嘆の外ない。
筆者の憶測ではこれはスウェーデンボルグの影響かと思う。カントはスウェーデンボルグについて否定も肯定もせずただ判断できないとしている。哲学は畢竟するに奇跡を信じるか否かになるが当然ながら留保もあり得る。因みに時間・空間・主体の交点を無記とする思想的立場は影響作用史的にはルドルフ・シュタイナーアントロポゾフィー(人智学)からの示唆に拠る。これらは前記特異点つまり「光速度不変の原理との絡みにおいて時空が解消された地平を意味する。自由や解放はこのような精神状態を指すと考えられる。

3.参考資料:
(1) 物理数学One Point 1『物理と複素数』 堤 正義 共立出版
(2) 『解析入門』  熊原 啓作・河添 健 放送大学教育振興会
(3) 図解『相対性理論が見る見るわかる』  橋元 淳一郎 サンマーク出版
(4) 新物理学ライブラリ別巻2『新版 量子論の基礎』 その本質のやさしい理解のために 清水 明 サイエンス社
(5) 『ペンローズの<量子脳>理論』  ロジャー・ペンローズ 竹内 薫・茂木 健一郎 訳・解説 ちくま学芸文庫
(6) 21世紀叢書『四次元時空の哲学』 相対的同時性の世界観  村山 章 新泉社
(7) 『時間は実在するか』  入不二 基義 講談社現代新書 1638