電脳経済学v3> f用語集> bb ビッグバン (big bang)=ibb 情報ビッグバン  (information big bang) (当初作成:2004年01月26日)(一部修正:2004年11月23日)(一部追加:2005年05月06日)(一部追加:2006年06月28日)(一部追加:2006年12月20日)

宇宙創成時の大爆発。宇宙は137億年前の大爆発をもって開闢し、その後膨張を続けて現在に至っている。宇宙の歴史には諸説があって120〜200億年と幅があるが、NASAは最近の観測結果から137億年±2億年と推定している。このHPでは宇宙の寿命は700億年、その歴史は137億年としている。
このビッグバン宇宙論は宇宙が超高温、高密度状態から爆発的に始まったとするもので現代の標準的な宇宙モデルである。宇宙の初期状態は物理学の全領域に関連するので現在活発な研究が進められている。

宇宙は広大な時間・空間とその存在(物)により構成される。これが現代宇宙論の基本的な立場である。電脳経済学はこの立場共有しながらも幾らか異なる見解に立脚している。意外にも宇宙論について多くのコメントが寄せられたので、持論を整理して用語集に追加記載した。なお1986年10月にイギリスで行われた金融・証券制度の歴史的な改革も宇宙の大爆発になぞらえてビッグバンというが、この金融ビッグバンはここでの対象ではない。

1.ビッグバンは宇宙創成時のエネルギー状態を指す概念で、物質はエネルギーの形態変化として次の段階で順次形成されていく。宇宙はさらに銀河、太陽、地球、生命、人間、意識と形態変化を経ながら自己認識へ向けて進化を続けている。したがって万物はすべて「エネルギーの形態変化の現れ」とみることも出来る。
2.物質とエネルギーが物理的に等価関係にあるとすれば、「情報」「エントロピー」はどうなるのか。電脳経済学の立場から早速この疑問が提起される。
3.まず情報についていえば、情報はすぐれて人間的な概念であり、エネルギーや物質の認識と表裏一体の関係にある。換言すれば情報によらずしてエネルギーや物質は表現不能である。したがって、エネルギーや物質を対象としてビッグバンを論じることは、そのまま情報もビッグバンの対象にしていることを意味する。これは経済学でいう三面等価の法則と同様に、同一現象の異なる捉え方といえる。これが『情報ビッグバン』概念の根拠である。
4.つまり『情報ビッグバン』の考え方は次のようになる。ビッグバンが宇宙創成を指すならば、宇宙は開闢の時にすでに構造化された情報をもっていた。 つまりビッグバンがあたかもDNAの分子構造が生物個体を形成するように、引き続く因果関係の第一原因だとすれば、歴史過程はすべからくこの情報ビッグバンに由来する必然の連鎖となる。この考え方は神の一撃、ラプラスの魔あるいは予定調和などと呼ばれ、必然論と運命論が一致した決定論を意味する。この論理を貫徹すれば人間の自由意志は否定される。例えば、ある人が私は努力して成功したといっても、その努力する才能や性格は天与のもの、とする論法がこの立場である。逆にいえば、これ以外に「自然」を論理的に説明する方法はないと考えられる。
5.ところが、人間はいかなる大天才といえども部分知の域内に制約された存在であり、ここに偶然論や確率論さらには自由意志つまり蓋然性の世界が現れる余地が残される。ここでいきなり結論に移れば「情報ビッグバン」を受け入れれば、自ずから「あるがまま
」「無為自然」あるいは「万物斉同」の概念に帰趨する。これは部分知の最小公倍数を容認する態度であり絶対自由の境地とも恒久平和の領域ともいえる。このエネルギー消費ゼロの理想状態は死を意味し実現不可能であるが接近は可能である。この宗教的な境地は熱力学の用語で準静的と呼ばれる。
6.宇宙がビッグバンをもって開闢したならばその時から時間が始まる。つまりそれ以前は宇宙も時間も存在しない道理となる。無から有が発生しないとすればそれ以前に反宇宙が要請される。これも一つの考え方であるが電脳経済学では次の立場による。時間も空間も観念の産物で、実在するのは物質(正確には運動状態にある物質つまりエネルギーのあり方)のみである。ローレンツ変換から明らかなように光速との相対関係から時間や空間は伸縮する。つまりビッグバン⇒エネルギー→物質→生命→人間→意識→情報⇒ビッグバンとなり、時間や空間は物質相互関係を表すための便宜的な表現形式(座標のような約束事)であるから物質存在以前の詮索は意味がない。定義領域外の議論は不毛な知的遊戯となる。ちなみに原始仏教ではこの物質相互関係を「諸法非我」と教えている。
6−2.情報属性番号(6)並びに(25)に示すように情報には属性としてコンパクト性ないし圧縮性がある。圧縮とはデータ内容を保ったまま容量を小さくすることを指すので準性的な圧縮過程の究極状態が情報ビッグバンに相当する。逆にその後のプログラム化された自己解凍過程が宇宙膨張に相当する。イリヤ・プリゴジン(1917-2003)はこれを存在(being)から発展(becoming)へと捉えている。一方、この識別/認識作用は意識主体による内部化が前提となる。
7.エントロピーに関してはビッグバンで最小値、700億年後の宇宙終末の状態で最大値となる。なぜなら定義によりエントロピーS=熱量Q/絶対温度TでQは一定、Tは数兆度とされるのでエントロピーSはほぼセロとなる。ちなみに宇宙論には膨張が永遠に続くとする開いた宇宙論、いつかは収縮に転じるとする閉じた宇宙論、一定の寿命があるとする平坦な宇宙論がある。なおエントロピーは物質・エネルギー・情報の反立概念であるので後者を反転して捉えることもできる。
8.上記の論点は次のように整理できる。時間や空間つまり歴史や地理を問わず、真偽や正義の判定は『現実』に拠る外ない。ここに『現実』とは目的論と方法論の交点を意味する。一方、目的論の検証は方法論に拠る外ない。この考え方を「文脈依存性」という。見方を変えれば現実とは上記5.の最小公倍数を指すが、いずれにしても論理は完結していない。つまり人間が生きている意味はこの部分知の悲しさにある。
9.アインシュタインは『神はサイコロをふらない』という有名な言葉を残している。この主張をめぐるアインシュタインとボーアやタゴールとの論争が知られるが両者の論点は最後まで一致しなかった。アインシュタインによれば「この宇宙に人間がいなくても宇宙は存在する」となり、これに対してボーアやタゴールは「そのような宇宙には意味がない」と反論した。つまり人間意識を離れた宇宙は考察の対象として意味がないとする立場である。このことに関する電脳経済学の見解は梵我一如(存在と認識)として提示している。ここに存在は物理的であり認識は人間的である。人間的な部分知の克服過程は意識の拡大化に相当する。蛇足ながらビッグバンと情報ビッグバンが同義とすればこれからも両者の論点は整合的に説明できると考える。

(2006年06月28日:追加分)
10.ビッグバン理論を最初に提示したのはベルギーの牧師であり天文学者でもあるアベ・ジョルジュ・ルメートル(1894-1966)である。万物の創成に関心を寄せたルメートルがビッグバンを宇宙卵と捉えた点に情報ビッグ・バンの文脈から注目したい。これがジョージ・ガモフ(1904-1968)さらにはエドウィン・ハッブル(1889-1953)と継承・展開され今日に至っている。宇宙理論の学術的な議論領域は専門家に任せるとして、一般人にとって宇宙論の要諦は自身の存在意義や職業倫理と可及的に関連づけて理解しようとする態度にある。思想矛盾の克服は事実唯真に依拠するほかなく、ここで宇宙論は限りない示唆の源泉として意義を持つ。歴史認識や生命科学がすっぽりと宇宙論に収まる部分系であることは論を俟たない。Web2.0の進展などにより人類はすでに全知領域に接近可能であるが専門分化/バイアス化された現代社会にあって多くの人はこのことに気づいていない。

(2006年12月20日:追加分)
11.中間的なメモであるが、現代物理学は基本的に光速を超える世界を描くことが出来ない。光に依存する限り暗黒物質/暗黒エネルギーや反世界はやはり巨大な未知の領域として残るのではないか。光速を足場として光速を超えることが出来るのは人間の意識を措いてはないが、それが何かいまの私には分からない。

[参考資料]
(1)『意識と脳 』 品川善也 紀伊国屋書店 pp22-23
(2)『宇宙創成から人類誕生までの自然史 』 和田純夫 ベレ出版
(3)『進化する宇宙’05 』12回ビッグ・バン 放送大学シラバス